浦安市の概要
東京ディズニーリゾートでよく知られている浦安市は、千葉県の北西部、東京湾最奥部に位置し、東京都と旧江戸川を隔て接する4キロ四方(面積約17.29平方メートル)の大変小さなまちで、東京のベッドタウンとして都市化が進められています。浦安誕生100年の年にあたる平成元年(1989年)には、フロリダ州オーランド市と姉妹都市提携を果たし、着々と国際化も進んでいます。
浦安のあゆみ
「浦安」が歴史に登場するのは、保元2年(1157年)のことだそうです。現在も市民の信仰を集めている「豊受神社」が創建されたのがその年にあたります。保元・平治といえば、ちょうど源氏と平家が覇権を争っていた平安時代末期です。
その後、天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に際して、葛西から浦安、行徳地域は徳川家の天領(家康の直轄地)となりました。当時は治水が充分でなく何度か洪水に襲われ、大きな被害が出ました。また、漁業権を巡って隣りの船橋村等との争いも少なくなかったようです。
江戸時代には、まだ“浦安”という地名はありませんでした。
明治22年(1889年)、町村制の施行に伴い、堀江、猫実、当代嶋の3村が合併し、「浦安村」が誕生しました。
当時の戸数は1,040戸、人口は5,946人でした。その頃の主な交通手段は、明治27年(1894年)に開航した川蒸気船でしたが、 大正8年(1919年)には定期船が就航、発着場となった「蒸気河岸」は大変な賑わいをみせていました。その後、昭和14年(1939年)に浦安橋が開通し、自転車・自動車の普及が進み、60年余り浦安の重要な足として親しまれた船の交通は、昭和19年(1944年)に廃止となりました。
明治42年(1909年)9月、町制が施行され「浦安町」がスタートしました。昭和初期の浦安の産業は、水産業を中心に栄え、境川や船圦川には“べか舟”と呼ばれる海苔採り舟がひしめき合い、漁師町として発展しました。
昭和19年(1944年)、米軍の空襲に見舞われ、家屋の焼失などにより、多くの犠牲者を出しました。また、三方を海と川に囲まれた浦安は、大津波や大火により幾度となく甚大な被害を受けました。中でも昭和24年(1949年)、キティ台風の来襲は、人々の生活に凄まじい爪跡を残しました。
昭和39年(1964年)秋から海面埋立事業が本格化し、住宅地造成などが進みました。昭和44年(1969年)3月、地下鉄東西線の開通により浦安駅が開業、漁業権の全面放棄もなされ、都市化が急激に進行しはじめました。昭和53年(1978年)首都高速湾岸線の一部開通によって道路のアクセスも良くなり、昭和54年(1979年)5月には人口が5万人を突破しました。昭和56年(1981年)3月に埋め立てが終わり、市域はかつての4.43平方キロメートルから、約4倍の16.98平方キロメートルに拡大し、4月1日に念願の市制施行を果たしました。
昭和58年(1983年)4月、東京ディズニーランドが舞浜に開園し、現在でも浦安のシンボルとなっています。昭和62年(1987年)5月には人口が10万人を突破、翌年にはベイエリアのホテル群がオープンしました。また、同年、京葉線の開業により、ますます都心が近くなりました。
東京ディズニーランドにおいては、平成10年(1998年)に年間入場者数が17,459,000人に上り、世界一の記録を保持しています。(2005年9月29日現在)
平成13年(2001年)9月には、東京ディズニーシーもオープンし、観光地として、また東京のベッドタウンとしてさらなる発展を続けています。
浦安の名前の由来
「浦安」の名前の由来は、明治22年(1889年)の三村合併の際に、「浦(海辺を指すやまと言葉)、安かれ(安泰であってほしい)」との願いが込められ、当時の村長であった新井甚左衛門によって命名されたといわれています。また、一説には日本国は昔「浦安の国」と称したことから、この名を採用したともいわれています。古くは「心安」と書いていたそうです。
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浦安市郷土博物館 |
| 住所: |
〒279-0004
千葉県浦安市猫実1-2-7 [地図を見る] |
| 電話番号: |
047-305-4300 |
| 開館時間: |
9:30〜16:30 |
| 休館日: |
月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)、祝日の翌日、12月28日〜1月5日、館内整理日 |
| 入館料: |
無料 |
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